ソーヌ川にかかる吊り橋 3


裁判所前の吊り橋

この吊り橋は、長さ126m、幅4mで、赤い色をしている。橋は、ソーヌ川の左岸にある一本の大きな支柱が数本のケーブルを支えるユニークなフォームをしている。やはり、何度もの破壊と再建が繰り返されてきた波乱の歴史を持つ吊り橋である。

ソーヌ右岸の旧裁判所の前にあるデュケール広場 PLACE DUQUAIRE (5区)と左岸のポー・デュ・タンプル広場 PLACE PORT DU TEMPLE とジャコバン広場 PLACES JACOBINS (1区)を繋いでいる。

ここには、1638年には10個のアーチから成る橋が存在していたが、1778年に破損が進行したことから破壊されたらしい。

1780年に、橋というよりは、渡り橋のようなものに置き換えられた。これは、12隻の船を連結して対岸へたどり着くような仕組みで、このうちの2隻は移動できるもので、はね橋「PONT VOLANT」 と呼ばれていた。これは、1789年の1月にあった氷の溶解で一部が流されて、1795年に完全に消失してしまった。

1797年に、新橋「 PONT NEUF」 と呼ばれる木製の橋が建造されるが、1820年に花火が落下して被害を受ける。続いて、1824年に洪水があり被害が増大し、1833年に最終的に壊された。

1833−1834年に吊り橋に置き換えられ(セガン MARC SEGUIN )、主に、ソーヌ右岸に建造された裁判所 PALAIS DE JUSTICE (1835年から1847年に建築)への通行を保証していた。

1840年に中心のアーチが洪水で破壊され、1844年に2つの柱に支えられた約80mの中央のアーチと約20mの2つの橋節から成る橋が再建される。通路は、約4mで1mの歩道があったそうだ。

1856年にほとんど橋全体が水につかる洪水があるが生き延びる。

1944年9月にドイツ軍が中央のアーチを破壊するが、1945年1月に再開通される。

1968年に、川の船の通航と車の通行を容易にする目的で、SERVICE DE LA NAVIGATION によって、裁判所の吊り橋とシャンジェ橋 PONT DU CHANGE とが同時に取り壊され、車も通れる頑丈な新しいジュアン橋 PONT MARECHAL JUIN が建造された。

裁判所前には、1982年、新しく歩行者専用の現在の吊り橋の建造(ランボレイ GILBERT LAMBOLEY )が開始され、1986年から利用されている。


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旧裁判所の前にあるデュケール広場 からの眺め

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一つの大きな支柱によってカーブルが支えられているユニークなフォーム

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ソーヌ川にかかる吊り橋 2


サン・ヴァンサン岸の吊り橋

ソーヌ川に掛かる吊り橋の一つ。長さは 76.5 m、幅は2.8 m、紫色をしている。2つの石造りの柱からケーブルで吊られている。とても軽い橋で、風に、また、人が歩いても揺れる橋である。

この吊り橋は、サン・ヴァンサン地区(1区)のサン・ヴァンサン岸 QUAI SAINT VINCENT とサン・ポール地区のピエール・シエーズ岸 QUAI PIERRE SCIZE (5区)をつないでいる。この辺りは、ソーヌ川がカーヴし、リヨンでも川幅が最も狭まっている所。ここに吊り橋がある理由の一つであろう。橋の真ん中で足を止めて、カーヴするソーヌ川の北上や、旧市街地の古い町並みの眺めも楽しみたい。

1637年に、初めての橋、木製の橋が建造(マリー JEAN CHRISTOPHE MARIE )された。1639年、当時は橋の通行税が取られていた。当時、歩行者の一人(マルテル GUILLAUME MARTEL) が通行料を払うよりも橋の官司を殺害する方を選ぶという出来事があったという。

1643年には、氷に運びさらわれ、1656年に新しい橋が設置されるが、1711年に、やはり同様に氷に運び去られる。1777年に、再び新しい橋(長さ約80m幅は7m)が設けられる。

古くなった橋の再建と場所の移動(より下流により簡単な吊り橋の建設)が提案される。1827年、建築が開始(タルパン TARPIN 会社)され、1832年に新しい吊り橋が開通された。

1840年、洪水で一部が損傷するが修繕され、現在に至っている。他の橋とは異なり、1944年のドイツ軍による破壊を免れた二つの橋の一つで、リヨンに残る最も古い橋である。




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吊り橋を支える2つの柱

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サン・ニジエ教会


サン・ニジエ教会 EGLISE SAINT - NIZIER は、プレスキルの真中にある。現在の建物は、ほとんどは15世紀に再建されたのもので、主にフランボイアン・ゴシック様式である。1840年から歴史的建造物として指定されている。

ソーヌ川の右岸のサン・ジャン教会は宗教会 CHANOINES を代表する教会として知られる。一方、ソーヌ川の左岸のプレスキルにあるサン・ニジエ教会は、市の権力 POUVOIE MUNICIPALE を象徴している。

外観は、とりわけ、遠くからも見うけられる、ふたつの尖った細く高い塔のシルエットが印象的である。左右非対称で、屋根色も異なっている。建築も15世紀と19世紀でかなり離れている。

現在の教会のある場所には、以前は、ローマの建物、おそらくシベール (キュベレー 古代中東の女神)と関係した寺 があったと想像されている。

内部の印象は、丸天井の高さと奇抜さ、支柱のフォーム、内部の明るさ、そして、特に建築全体に表された厳格さが特徴的である。

白大理石でできた主祭壇には、キリストと12人の従徒の像の装飾がある。本堂の奥には、ヴァチカンのバジリックの聖ピエールと聖ポールの像の複製、内陣には、木製の聖ニジエと聖サセルドの像がある。

サン・ニジエ教会は、キリスト教の歴史の上で非常に重要な教会の一つである。中でも、聖ポタン POTHIN と聖ブロンディン BLANDINE を含む、ローマの弾劾にあった、177年のリヨン市とゴールの48人のキリスト教の殉教者の記憶と深く関わっている。

サン・ニジエ教会は、5世紀の半ばに、司教の聖ウシェール SAINT EUCHER によって、キリスト教伝道者 SAINTS - APOTRES (ピエール PIERRE とポール PAUL) とこの48人の殉教者に捧げて建築された。

一説では、教会には、177年に殉教死した48人の遺物が奉納されていたという。キリスト教徒が悲観したため、殉死者の遺体が発見され、焼却され、その残りはバジュリカの祭壇の下に置かれたという話である。(また、遺体は焼かれ、ローヌ川に捨てられたという説もある。)

その後、6世紀まで、多くの司教たちがここに埋葬された。551年にリヨンで死亡した、アルルの大司教オレリアン ARCHIVEQUE D’ARLES AURELIEN などが知られる。

573年に、リヨンの司教、聖ニジエ SAINT NIZIER が埋葬された後に、多くの奇跡が起ったことから(盲人が目が見えるようになったり、病気が回復するなど)、この司教に対する崇拝が起こり、教会の名前にされたということである。

聖ニジエは、553年に、司教であった叔父の聖サセルドス SACERDOS を引き継いで、司教になった。活動的な司教で、巡礼者や貧しい人を受け入れるための最初のホスピスをリヨンに建造し、エクソシスト、除悪魔式を励行した。

8世紀には、他の教会同様に、ローヌ渓谷を北上してきたサラセン人 SARASSINS の侵略で破壊された。そして、シャールマーニュの治世下、9世紀初頭に、レイドラッド司教 LEIDRADE によって再建された。

1253年、プロテスタントの動きの開始者の一人とされるヴァルド PIERRE VALDO が、その豪華さにショックを受けて、教会に火をつけてしまう。現在の教会は、ブルジョワの協力のもとに、ルイ・ド・ヴィラー LOUIS DE VILLARS 大司教によって再建されたものである。

建築は、14世紀から段階ごとに進められ、主要な部分は15世紀になされ、さらに16世紀の終わりまで続いた。鐘楼は、1463年から建築が始まり、最後の南の鐘楼の完成は、1856年。

ルネッサンス時代は、シテのブルジョワと領事などのエリートの教会であったという。1461から1521年の間、執政官政治がここで執り行われた。

その後、新教徒一団の略奪(1562年のアルデ男爵 BARON DES ADRETS の率いる)や18世紀のフランス革命によリ大きな破壊を受け、多くの芸術作品や聖物が破壊され、紛失した。

それでも、クリプトの壁、司教聖サセルドの碑銘の破片(司教はここに埋葬されている)、16世紀の最初の聖母の像、など興味深いものが少しだけ残されている。

モザイクでは、奥殿にある聖ジャンと聖ポタンに取り囲まれたメール・ドウ・デュー LA MERE DE DIEU (ガスパー GASPARD PONCET によって描かれ、モザイク細工師、モラ MORA によってなされた)、本堂の壁にあるリヨンの48人の殉教者が知られている。

南外陣の祭壇背後の装飾付き衝立、エターブルにある1697年の 慈悲の聖母の像( ANTOINE DE COYSEVOX作 )、北外陣のエターブルにある19世紀の聖ポタンの像の彫刻( CHINARD 作)なども見物。

19世紀に、内部の家具が修復されている。1973年からは、教会全体の大規模な修復がなされた。

20世紀には、教会は庶民地区の中心となり、避難所、受入れ場所としても知られる。最近では、警察官の厳しい取り締まりに抵抗した娼婦(1975年)や、違法に滞在している外国人(2002年)などが占領する出来事の舞台となっている。

また、キリスト教の歴史などの聖書800冊を集めた図書館が、毎日一般公開されている。
PLACE ST NIZIER CURE 46, RUE EDOUARD HERRIOT 69002 LYON

月曜日 15-18h30 火曜〜金曜 8-19h45 土曜日 10-18h30 日曜日 9-12/16-20h


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サン・ニジエ教会の正面


ソーヌ川の対岸からの教会の眺め


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料理家 ポール ・ボキューズ

ポール・ボキューズは、フランスで最も有名で、世界でも最も著名な料理家の一人である。伝統的フランス料理の第一人者であるとともに、ヌーヴェル・キュイジーヌの先駆者でもある。

フランス料理の保護と発展のために、1970年、12人の三つ星レストランのシェフとともに、LA SOCIETE GRANDE CUISINE FRANCAISE を創立した。1987年からは、世界で最も威厳の高い国際料理コンクールの一つ、ボキューズ・ドール BOCUSE D’OR を設立している。

特に、その功績は、レストランの批評で知られるミシュラン・ガイド GUIDE MICHELIN で、1958年に最初の星、1962年に二つ星、1965年からは、ずっと三つ星に輝き続けていることからも想像できる。また、ゴー・エ・ミーヨー GAULT ET MILLAU からは、「世紀の料理家 CUISINIER DU SIECLE」、「ガストロのミーの父 PAPA DE LA GASTRONOMIE」と評されている。

フランスでは、1961年にフランス国家最優秀職人賞 MEILLEUR OUVRIER DU FRANCE を取得。また、1975年には、料理家として初めてのレジオン・ドヌール勲章 CHEVALIER DANS L’ORDRE DE LA LEGION D’HONNEUR も受賞する名誉も受けている。

現在は、リヨン市内とその郊外に、8つのレストランとブラッセリーを運営している実業家でもある。コローンジュ・オー・モンドール COLLONGES AU MONT D’OR にあるレストラン L’AUBERGE DU PONT DE COLLONGES が最も重要なものである。


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レストランの中庭に置かれたボキューズ氏の像

ポール・ボキューズは、1926年に、現在もレストランのあるコローンジュ・オー・モンドール(リヨンから12Km)の村で生まれた。17世紀にまでさかのぼる代々の料理家の家系だそうである。

父方の祖父は、レストラン BOCUSE を持ち、母方の祖父母 FRANCOISE ET FRANCOIS ROULIER は、そこから400mしか離れていないところでホテル L’HOTEL DU PONT を経営していたという。

1936年に、両親は、後にレストラン L’AUBERGE DU PONT DE COLLONGES となる母方のホテルに移住した。ポールは、一人息子で、幾つかのレストランでの修行の後、1958年、22歳の時にコローンジュの村に戻り、両親が経営していたレストランを手助い始め、その後を継ぐことになる。

最初の修行は、リヨンのブッションで知られるメール・ブラジエール EUGENIE BRAZIER のところで始めた。さらに、パリの8区のリッシャー GASTON RICHARD がシェフであった有名なレストラン LUCAS CARTON で働らき、そこの同僚となったトワグロ兄弟 PIERRE ET JEAN TROISGROS と親しくなる。

三人は、リオンの近くにあるヴィエンヌ VIENNE の町の有名なレストラン、ラ・ピラミッド LA PYRAMIDE で修業を続ける。ポールは、その精神的な父、偉大な師となるポワン氏 FERNAND POINT のところで8年間を過ごす。

1946年にレイモンド RAYMONDE DUVERT と結婚し、翌年に女子 FRANCOISE に授かる。フランソワーズは、リヨンの有名なチョコレート屋、ベルナッション BERNACHON の息子 JEAN-JEAQUE BERNACHON と結婚する。

1969年に、再婚相手のレイモンヌ RAYMONE との間に息子ジェローム JEROME が誕生する。ジェロームは、ボキューズ・グループのアメリカのレストランの指揮を任されている。また、ジェロームはその息子をポールと名付けたということである。

2006年、ジザ・ラルー ZVA-MARIE ZIZZA-LALU (三人目の妻 PATRICIA ZIZZA の娘)ともに LA SOCIETE DES PRODUITS PAUL BOCUSE を創立した。

日本やアメリカにも支店を出している。全ての活動を総括すると、従業員は約700人、年間の売り上げは、およそ50000000ユーロと予測されている。

ちなみに、1991年、パリの有名人のろう人形の展示されているグレヴァン博物館 MUSEE GREVIN に入った最初の料理家でもある。

2006年から、いろいろな食材が手に入るリヨンの台所であるレ・アールにはボキューズの名が付けられて HALLES DE LYON PAUL BOCUSE と名付けられている。また、コローンジュ・オー・モンドールの橋もボキューズの名前が付けられている。

今年で91歳。2005年には、心臓病で、三本の冠動脈バイパス手術を受け、2010年からは、パーキンソン病を患っている。


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有名な壁画「リヨネのフレスコ」に描かれたポール・ボキューズ



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レストラン・ポール・ボキューズ

リヨンで最も有名なレストラン。ここで食事をしなくては、リヨンのレストランを知っているとは言いかねるような著名な場所である。

リヨン市内ではなく、北へ約12kmくらい遡ったところにあるソーヌ川沿いのコローンジュ・オー・モン・ドール COLLONGES AU MONT D'OR の村にある。

レストランは、世界的に知られているミュシュランのレストラン・ガイド GUIDE MICHELIN で、1965年からずっと最高峰の三ツ星に輝き続け、世界最高の評価を受けている。

レストランの外見は、赤と緑を使った非常に派手な色で、遠くからもすぐに見分けられる。駐車場の入り口で、ボーイが待ち受けて、内部へ丁寧に導き入れてくれるのも普通のレストランとは違う。全てがセレモニー。

中庭には、ボキューズの像が置かれ、取り巻く壁には、ボキューズの歴史、料理に関係のあった人々、レストランの名物料理などが描かれている。

料理は、いろいろ有名なものがあるが、中でも、1975年に、料理家として初めて、当時のプレジデント、ヴァレリー・ジスカール・デスタン VALERY GISCARD D'ESTAINGからレジオン・ドヌール勲章 L'ORDRE NATIONAL DE LA LEGION L'HONNEUR を受賞し、エリゼ宮 LA PALSI DE L'ELYSEE に招かれた時に創作したというトリュフのスープ SOUPE AUX TRUFFES NOIRS( プレジデントの頭文字をとって、V.G.D. とも略される)が知られている。

ところで、このスープの発想のオリジンは、以前に食した二つのレシピ、アルデッシュ県の農家 CHEZ DES PAYSANS ARDECHOIS で食べたトリュフの薄切りで飾られた鳥と牛肉のスープと、アルザス PAUL HAEBERLIN EN ALSACE で供されたパイ側で覆われたトリュフにあったということである。


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駐車場から見たレストランの建物

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ガラス張りのレストランの入り口

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トリュフのスープ SOUPE AUX TRUFFES NOIRS
パイ皮は、蓋を見立てたとも、禿げていたプレジデントの頭を真似たとの言われる

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オマール海老のサラダ SALADE DE HOMARD A LA FRANCAISE

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フォアグラ FOIE GRAS DE CANARD

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鳩の料理 PIGEON EN FEUILLETE

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デザートのウフ・ア・ラ・ネージュ OEUF A LA NEIGE GRAND MERE BOCUSE

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壁に描かれたトリュフのスープとスズキのパイ包み焼き


40 QUAI DE LA PLAGE
69660 COLLONGES AU MONT D'OR
bocuse.fr


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リヨンの春


白鳥の新しい家族

暖かい日が続くかと思った矢先に、寒い北風が吹き荒れて急激に気温が10度も下がったり、今年の春は、なかなかやってこなかった。

例年ならば、5月になるとコートはいらなくなり、軽い服装で出かけられるのが普通であるが、今年はこの時期を過ぎても例外的に肌寒い日が続いた。

そんな中で、コンフリューアンス地区にある池の畔で卵を温めていた白鳥に、やっと今週になって小さな小鳥が誕生した。

観光スポットのようになってしまって、白鳥には少し気の毒ではあるが、周りを散歩する人たちも、新しい家族を見に立ち寄っている。



生まれたばかりの白鳥



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ソーヌ川にかかる吊り橋 1


サン・ジョルジュの吊り橋

ソーヌ川にかかるサン・ジョルジュの吊り橋は、リヨン二区のエネ地区のティルッシット岸 TILSITT とリヨン五区のサン・ジョルジュ地区のフルイロン岸 FULHIRON を結ぶ87mの歩行者専用橋である。4つあるソーヌ川に架かる吊り橋のうち一番南にある。

1852年に完成し、翌年から利用されていたが、当時は、この橋のおかげで、旧市街地へ行くのが非常に便利であったという。1944年に、第二次世界大戦で、ドイツ軍に破壊され、再建されている。

2003年からは、クーチュリエールの橋 ABBE PAUL COUTURIER とも呼ばれている。この神父さんは、リヨンのギロチエール LA GUILLOTIERE で生まれ、異なるキリスト教派の合同活動に貢献したことで知られている。

また、この吊り橋は、恋人の橋 PASSERELLES DES AMOUREUX などとも呼ばれ、名前の書きこんだナンキン錠がくくりつけられている。


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リヨン五区の川岸からの眺め

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リヨン二区の川岸 からの眺め

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吊橋からの旧市街地の眺め

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旧市街地のトラブール 6


サン・ジャン通りからロマン・ローラン岸へ抜けるトラブール

サン・ジャン通り 2 SAINT - JEAN からロマン・ローラン岸 10 QUAI ROMAIN - ROLLAND へ抜けるトラブール

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人魚の彫刻のある入り口

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階段で上り中庭へ続く

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建物の窓

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中庭にある井戸

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回廊のある中庭

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回り階段

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中庭から空を覗く


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旧市街地のトラブール 5


サン・ジャン通りのトラブール

サン・ジャン通り18番にあるトラブール

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入り口のドアー

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通路の天井も特徴的装飾

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回り階段の天井

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中庭を取り巻く建物

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回廊の天井の典型的なヴォージュ


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ラ・ポワロン・ドール

ラ・ポワロン・ドール LA POELON D'OR は、リヨン二区、ユネスコの世界遺産に指定されているエネ地区の中心にあるブッションの一つである。場所柄もあり、近くで仕事しているサラリーマンが立ち寄ることも多い。

1860年に始めたワイン・バーの店がレストランの起こりで、アール・デコの内装、木製の天井や白と黒の床のタイルなどが、普通のブツシヨンとは違っている。これらは、フランスの国家遺産に指定されているそうである。

かなり広々とした明るい感じに改装され、個室もある。伝統的ブッションというよりは、現代性を兼ね備えたビストロのような雰囲気が強い。

リヨンの名物を揃えている。クネルの味は抜群。デザートにも力をいれていて、フロマージュ・ブランのアイスクリームなど、個性のある料理を工夫してもいる。


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かなり広い店構え

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レストランの入り口 フランス国の象徴、ニワトリを描いたカーテンが面白い。

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入口脇のバーのあるカウンター かなりこじんまりしている

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ブッションらしからぬ、かなりシックなナプキン 

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ホアグラとアーティチョークのサラダ

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サラダ・リヨネーズ

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アンドウイエット

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フロマージュブランのアイスクリームが珍らしい 赤フルーツ添え

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お馴染みのプラリネのタルト



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プロフィール

織葉 ケイ

Author:織葉 ケイ
フランスのリヨン市に住んでいます。
ユネスコの世界遺産に指定されている歴史地区、世界的に著名なグルメの街、ヨーロッパ有数のテット・ドール公園の四季、そして、毎日の暮らしのことなど、お便りします。

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